経歴
1930年 1代目、原田猛により、原田左研を設立。父、原田猛が大分県日田市に原田左研を設立する。木挽きだった祖父の口癖「研究せにゃいかん」が「左研」という名前の由来。
1958年 原田進 誕生。祖父、祖母にかわいがられて育つ。
1976年 大分県立日田林工高等学校卒業後、父の下で左官修業。
1980年 熊本県立職業訓練短期大学左官科に入学するも、81年『左官教室』にあった記事を読んで久住章さんの弟子になろうと思い立ち、そのままバイクで一路淡路へ。住み込み弟子として修業に励む。大学は中退したが、久住章さんの元で積んだ修業が、左官職人としての道を切り拓いた。
1982年 日田に戻り実家で働きつつ、久住さんの現場があるとなればはせ参じ腕を磨く日々を送る。
1992年 大分県湯布院の擬洋風建築「旧日野病院」(1894)の修復に取り組む。左官工事だけで3年かかった仕事だった。手探りで過去の左官の材料、技を発見していくような日々。その過程が、自信と創造力への源泉となった。
1996年 38歳で父の跡を取り親方に。原田左研を会社組織化。福岡県香椎の「東照寺別院納骨堂」に取り組む。土壁につつまれた空気が、ふんわりと気持ちよくなることに気づき、「あいだを塗る人」というテーマが生まれる。
2001年 「いいちこ」で知られる三和酒類の「安心院葡萄酒工房」でさまざまな仕上げを手がける。安心院らしさを大事にした森の中の100年ワイナリー、和のワイナリーというイメージに沿った空間は、オープン後、多くのお客さまに喜ばれた。ここで原田オリジナル配合で漆喰に土をまぜる「土漆喰」を本格的に使用しはじめる。*この年から2011年まで、ドイツのアーヘン工科大学でマンフレッド・シュパイデル教授のサマーセミナーで講師を務める。毎年、3週間建築を学ぶ学生に左官技術を教えた。なお、前年までは久住章さんが講師を務めていた。
2005年 2004年12月に土蔵づくりの町家や水路など、江戸時代の面影を残す日田市豆田町が伝建地区に指定されたことを受け、その修復のための素材や工法を研究。修復のための「施工資料」作成に尽力する。地元の職人たちとの交流が深まった年でもある。
2007年 日田市の市民ホール「パトリア日田」で、1000㎡を超える壮大な漆喰や土漆喰を塗る。これから舞台に立つ人を「さーやりまっしょう!」と鼓舞を送るような壁を創りたかった。このころから「ホスピタリティのある壁ってなんやろか」と考えるようになる。
2011年 福岡市中央区にかまくらのような土壁の座敷「時空庵」を塗る。3次元のドーム型の木摺りに日田の朝日土を混ぜた土漆喰。独特の有機的なラインを塗り上げた。以前から竹木舞で土のドームを実験的につくっていたことが役だつ。ちなみにこのドームは「ヘトヘトに疲れたお父さんを癒す」という目的でつくってみたもの。
2012年 さまざまな日田の職人が集い後継者を育成する一般社団法人「日田職人会」を立ち上げる。そして、左官文化を後世に遺すため、日本左官会議の初代議長に就任。